『それでも夜は明ける』奴隷は財産だったのか

 映画を見るのが好きだ。しかし、観終わったあとに残るものを目に見える形で残すのは難しい。そして私はその作業がとても苦手だ。だからここで感想を書き残すとともに、練習する。

 

 『それでも夜は明ける』。主人公はソロモン・ノーサップという黒人音楽家。家庭を持ち、音楽家として生活していた彼は、誘拐される。そして、彼の意思とは関係なく、の大農場主の奴隷にされる。12年という人間として生きるはずだった長い歳月を、奴隷ー財産として生きたソロモンの実話を映画にした作品だ。

 

 たまたま自分が大学で学んでいる内容と被ることが多く、考えさせられる作品だ。

 

 有名な奴隷解放宣言を出したのは、リンカン。だから、リンカンは、奴隷は良くないよねって初めに気づいた優しい人なんだ!とつい最近まで思っていた。でも、そんな簡単な話ではないらしい。

 

 奴隷解放宣言は、「黒人はproperty(財産、所有物)ではなくて、人間だ。でも、白人と同じではないよね。」という考え方。

 

 当時の人々からしたら画期的な宣言なのだろうか。奴隷解放を訴える北部の人のリアクションは、「めっちゃいいじゃん!」なのか、はたまた、「いやいや、もちろん黒人は人間だし、なんなら白人と同じ権利があってもおかしくない!」と考える人はいたのか。奴隷制を支持する、奴隷がいなくなっては困る南部の人からすれば、「黒人は自分らの財産なんだから、他人の財産に口出しするな!」なのか、「まあ、うすうす、人に鞭を打つ罪悪感は感じてたけど、、、。」と考える人はいたのか。

 

 私もまだまだ勉強不足で、そんなに詳しくは語れないが、その時代の少数派だったり、画期的な考え方を知ってみたいと強く思う。北部の人は本当に奴隷制を廃止するべきだと本当に思っていたのか?逆に南部の人は本当に奴隷制を維持したかったのか?歴史を勉強すると、多数派の意見を知ることはできるけれど、少数派の意見は、そもそも少数派が存在したことすらわからない。だからわたしはもやもやしてしまう。

 

 この映画を見る限り、南部の農場主に、「まあ、うすうす、人に鞭を打つ罪悪感は感じてたけど、、、。」という気持ちは読み取れない。自分がもし、同じ立場だったら、どのような気持ちで鞭を持つんだろう。

 

 現代の日本人に、奴隷制=良くないことというイメージは根付いている。しかし、最近は、技能実習生の是非について世間も私の心もざわついている。

 

 あれこれ考えてしまって、きっと今日も眠れない。